仕事をしたくない
生きる手段=仕事だ。
ヒモが生きる手段だったとしたら、ヒモも仕事だ。
しかし、僕は何か働きかける事をしたくない。
意味がわからないからだ。
- 夢
好きなことを好きなようにしたい。だがそれは「仕事」にはならない。
そして、それ以外の人生は、ただの重荷でしかない。
昔からそうだった。
誰かになりたいと思ったことが無かった。
多くの人は小さいころ、夢があっただろう。「しょうらいのゆめ」だ。
出典:日本FP協会『将来なりたい職業』ランキングより
今(2015年の集計だが)の子供の夢を見ても、昔とそう大きく変わった感じはしない。
昔周りの人が「将来の夢は野球選手」だとか「警察官」だとか「お医者さん」と言っているのを聞いて「夢があってすごいな」と感じた記憶がある。
その時からテレビゲームが好きだったが、作る事にはどうにも魅力を感じなかった。
「面白いものを面白いように好きなだけ受け取る」
ゲームをするというのはそういうことで、それ以上やったらその瞬間義務になってしまう。
プログラミングが好きな人がプログラマになったら嫌いになった、という話はよく聞く。そしてそれはどの仕事もそうだろう。いくら好きでも続けていれば嫌になることもある。
- 義務
仕事とは義務を課せられることだ。
そして「義務を課せられること」がたまらなく嫌だ。
「生きる事が義務である」とは決して言わないけれど、率先して人生の終わりに歩いて行かない限り、必然的に生きることになってしまう。
そこに消極的であるが故に、僕は仕事をしたくないし、生きづらい。
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とまぁ言っては見たけど、ようするに「嫌なことはしたくない!」と子供のような考え方を持ったまま大人になってしまっただけだ。
頑張って(何を頑張るのかはよく分かってないが……なんとなく分かって入るけどその苦労をしたくないと思っていて嘘を付いているだけかもしれない)ここから一歩踏み出さなければどうにもならないとは思っているけど、そこに言い訳を重ねて動いていないだけなんだ。
棒線前で書いたのは以前思っていた(今も少しは思っているけど)こと。
あまりにも完璧すぎて、実現不可能じゃないかと感じている。
だから最近は妥協点を探る努力をしている。
それを努力とは言わないと言う人も居るだろうが……それは仰るとおり。
努力をしていないから、なんらかの行動を努力としなければ、「努力もせず文句ばかり言う」人類になってしまうと考えた上での浅ましい行動だ。
プライドだけは、無駄にある。
仕事をしたくない。しかし苦しみたくはない。
仕事をすることは苦しむ事。生きることは苦しむこと。
ここで思考が止まってるんだよなぁ。とりあえず進むか進むかはわからないけど(多分進まない)、色々考えて行きたい。